23時49分

おたくのリハビリ

7/26

今日で一旦,主要なテストやレポートが終わった.まだあと二つ試験があるけれど,どちらも好きな科目だし自頭で突破できそうなので正直なめている.もちろん事前に勉強はするけど.

 

試験期間ともなるとやっぱり学校は普段より多くの人であふれていて,同じ世代の者達がどのような様相をしているかが確認できる.というか端的にいうと,サブカル女子大生がすごいいっぱいいて,改めて驚いた.学部生の年頃の若者はみんなアイデンティティの形成に奔走していて,その結果サブカルという枠組みに安易に収斂していくのは想像に難くない.

 

しかし,サブカルと一口に言っても,やはりサブカルである以上体系を嫌うという一面があるので,その基づくところはかなり流動的である.サブカルとは,劣等感を抱える者達の作り出したアイデンティティの形と定義づけることが可能である.例えばその一つとして,西欧へのコンプレックスというのが一貫してサブカルたちが抱き続けている代表的なそれだ.そんな彼らの安寧の地は長らく京都であったわけだが,最近はもっぱら韓国である.今のサブカルたちは韓国のメイクが好きだし,韓国のアイドルを好きになるし,海外旅行も押し並べて行き先は韓国である.海外進出おめでとうございます.

 

まあ体系を忌避するという基盤しか存在しない以上,あらゆる対象は時々刻々と変遷してゆく.かつての相対性理論は今日の大森靖子だし,かつてのツモリチサトは今日のha|za|maなのだ.もちろん君たちが何を好きになろうと君たちの勝手だけど,とりあえずあまり視界に入らないで欲しいというささやかな願いを記して,一旦この話は終わりにする.

 

 

さて,サブカルが嫌うものは主に技術,論理,古典だよネというツイートをつい最近したと思うが,その中でも論理について,今日考えていたことを,己の思考を整理するためにもここにまとめてみようと思う.

 

我々が理性的存在者として最低限論理的であるためには,日常言語の使用においても常に意識しておくべき区別がある.

 

第一に,ある議論がメタレベルの議論なのか,オブジェクトレベルの議論なのか,という区別.

第二に,ある命題を述べるときに,その命題が仮定なのか,主張なのか,という区別.

第三に,処理に問題が発生した場合,それがシンタックスエラーによるものなのか,セマンティクスエラーによるものなのか,という区別.

 

他にも挙がるだろうが,個人的に平素意識するように心がけているのは上の三点だ.それぞれ具体的に考えてみる.

第一点は,議論によって得られる解集合のレイヤーについての混同を避けるための心がけだ.特殊解で十分対応できるものについて,無理な一般化を目指していないか.あるいは,必然的に一般解が求められている場面で,特殊解の列挙に終始していないか.手段を目的に対して最適化してゆくためにも,この区別ははっきりと意識していなくてはならない.

第二点は,自然言語に特有の罠と言える.人工言語において主張と仮定は構文的にはっきりと区別されるが,自然言語では曖昧になりがちだ.例えば,Pが真であることを仮定してP→Qを導いたとする.ここからQが真であると主張するのは誤りだ.この時点では”Pを真と仮定した場合にP→Qが成り立つ”という主張が真であるということまでしか分からない.換言すればこれは,(P→(P→Q))を示したに過ぎず,前提(P)の真偽が不明な以上,この文は真でも偽でもない.

第三点は,一階述語論理を宇宙とした場合にわかりやすい.シンタックスエラーとは,要するに論理記号の操作に関する誤謬だ.これは自然言語おいてふつう接続詞の誤用として表面化する.セマンティクスのエラーとは,一方,文の意味に関する誤謬のことを言う.ノーム・チョムスキーによる"Colorless green ideas sleep furiously"という有名な文がある.これはシンタックスは健全だが,セマンティクスの致命的な欠陥によって意味不明な文になっている.

この辺りに気をつけていると,およそ詭弁の類からは冷静に距離を置くことが出来るようになる.と同時に,相手さえ選べば,詭弁を駆使して煙に巻く技術も身につく.詐欺の本質は論理的修辞のトリックにある.