23時49分

おたくのリハビリ

6/12

今日の話題といえば,やはりシンガポールで行われた米朝首脳会談だろう.しかし始めに断っておくが,これについてはここでは一切書かないので安心してほしい.最初の記事で言及したが,当日記の趣旨はそういう学術的な話題から距離を置き,私の変哲のないデイリーライフを淡々と綴ることだからだ.

 

ただ,いち国際政治学徒として読者のそうでない皆様に一つお伝えすると,皆様各位が金正恩という男に対してどういう印象を持っているのかは分からない(むしろ教えてほしい)が,一つ言えることは,彼の外交は極めて冷徹で合理的であるということだ.気分屋だとか支離滅裂だとか,そういう印象を抱く人はそう少なくはないのだろうが,それはトランプの方である.金正恩は,交渉におけるレバレッジを多分に理解している.そのことを念頭に置いて,今後メディアの国際欄を注視していただきたいと思う.

 

 

皆様各位はあくまで私のライフスタイルに興味津々で読んでくださっているというのに金正恩の話をしてしまい,大変恐縮である.大急ぎで日記書きます.

 

 

 

 

今日はサブカルっぽいことについて,漠然と考えていた.具体的には音楽と文学についてである.昔から本当に友達がいなかった私は,少なくとも並よりかはそれに触れる時間が多かったと言える.

 

 

私には,このアカウントの開設をきっかけに再会することができた,2015年来の盟友がいる.実に約2年ぶりに再会したその人はいつの間にか文学部生になられていて,今は度々私に流れる文人の血を刺激してくれる.昨日も,僅かだが,文学周辺のやり取りをしたのを思い出していた.その流れとして半ば必然的に,以下のようなことを考えていた.

 

 

記憶が正しければ,出会った当時の私はちょうど高校2年を終えようかという時期だったわけだが,まさにその時期の私は文学(主として幻想文学)や音楽に傾倒していた.具体的に,それらについて私は何を思っていたのか.何を求めていたのか.私が読み,聴いていたそれらはなんだったのか.

 

 

 

 

ひと通り当時のことを想起してみて ー 具体的な名前こそ出さないが,ああ,そりゃ,当時の私みたいな,とにかく何かを好きになってみようと必死だった人間は,こういうのを読む(聴く)よね,抽象的で,なんとなく何かを言っているようで,その何かは受け手の勝手な解釈に委ねて,考察だのなんだのと,あれこれ遊ばせてくれる余地のある,言葉遊びの気取った作品が好きだよね,という妙にスカした感想をもった.

 

 

あの頃の私には今よりずっと,文学や音楽が必要だったのだ.好きとか嫌いとかじゃなくて,必要だった.それが良いとか悪いとかでもなく,ただ空っぽのそれらの受容体が精神の空隙として存在していた.それらと結合して作用するような,そういうものがあった.何が作用していたのかはうまく言葉にならない.なんというか切実で,必死で,とにかくその作用がなければ生きている心地がしないような,そういうものが,かつて私の中にあった.病気だ.麻疹とか熱病の類だと思う.

 

 

今では特に音楽なんかは,なくても平気で生きていられるようになって,気がついたらそうなっていて,別にそれ自体を残念だともつまらないとも思わず,むしろそう思っていないことを我ながらちょっと意外に思っている.

 

 

しかし,誤解なきよう言わせてもらえば,私は今でも両者が大好きだし,その当時から変わらない価値観というか軸みたいなのも一応ある(つもりだ).一つは,文章も音楽も技巧がモノを言うというか,プライオリティだと思っていて,当時の私も今の私も,上手ければもうそれだけでめちゃくちゃ感動してしまうというところがある.だからこそ私の良くないところとして,"結局受け手側との相性次第だよね〜"とか,"上手いけど心に響かない"みたいなことを言われると吐きそうになる.技術は大事だよ,少なくともその近視眼的で高慢な態度よりはと思ってしまう.

 

 

 

でも今は,そういうのをアレルギー的に嫌悪してしまうということもなくなった.というかむしろそれが正常である.当時の私は,インスピレーションとか感受性とか,そういう,自分なりに加工したエゴイズムを切り売りして生きていこうとしていたのだ.やっぱり病気だったんだな,高校2年生の頃.