23時49分

おたくのリハビリ

6/10

今日は雨模様の1日である.日曜だというのに生憎の天気である.普段の私なら,サークルのメンバーでBBQをする予定が潰れた大学生達を想像して英気を養うなどするところだが,今日はそんな暇はなかった.午後から母と祖母が都内に出てくることになっていたからだ.

 

連中は部屋の片付けと物資の運び込みという名目で度々私の拠点を襲撃しに来るのだが,そもそも掃除が好きな私の部屋は常に塵ひとつないし,普段から親のクレカで好き放題に買い物をしている私にはそういった生活面での物的支援は不要だ.それにもかかわらず来るということはよほど子供(孫)の生態が気になるということである.更に言えば,彼女らの私に関する興味関心は学業の優などではなく,専ら私の恋愛事情にある.下種の勘繰りという言葉があるが,まさに彼女らの挙動を形容するに相応しい表現だろう.

 

 

さて,私は普段住んでいる賃貸の他に,ベースキャンプとして都内にもう一つアパートの部屋を借りているのだが,今回の彼女らの襲撃ポイントは後者であった.事前に爆撃予告を受けていた私は,本日朝8時に入構した.あらゆる疑惑の種を前もって抹消しておくためである.

 

 

ここで明記しておかねばならないのは,この作業の必要性は私に実際に恋人がいるかどうかということとは全く関係がないということだ.問題はまさに連中の「下種の勘繰り」にある.

 

 

例えば,授業中に偶然ボールペンのインクが切れて,仕方なく知人からガーリーなデザインのペンを借りたとする.そしてそれを返却せずに持ち帰ってしまい,机の上に置きっ放しになっているとしよう.彼女らが机の上にあるそれを目撃した場合,もうその場で私には少女趣味の同年代か年下の恋人がいて,かつその部屋で一緒に勉強か何かしたという事実が出来上がり,質問という名の銃弾を連射する機関銃の餌食となる.それより向こう2時間は解放されることはないだろう.こう言った苦い体験を二度としない為に潜在的な疑惑の種を徹底的に排除しておくことは自己防衛の為には欠かせないことなのだ.

 

 

ここで,具体的に私が今日行った予防的作業をいくつか紹介しておこう.

 

まず,歯ブラシを1本捨てた.先日歯医者で検診を受けた時に,担当医になんかハイテクな歯ブラシを紹介されてホイホイ購入してしまったのだが,それが洗面台に立てかけてあった.つまり,普通の歯ブラシとその歯ブラシで合計2本の歯ブラシが存在していたのだ.そのインプリケーションは明らかである.

 

 

次に,長い髪の毛が落ちていないかを床に這いつくばって入念に確かめた.というのも,私はつい先日散髪したのだが,それまでは例外的にかなり髪の毛が伸びていて,特に前髪などの長さはボブヘアの女性の髪のそれとちょうど同じくらいあった.それはもう,抜け毛だけ見たら吉瀬美智子のようなヘアスタイルの女性を想起させるような.

 

 

また,知人に作ってもらった料理が冷蔵庫に入っていたので,それを全て平らげた.まともに料理が出来ない私の冷蔵庫にそれなりの難易度であろう料理が入っていたら,否応無しにそれの類を想起させるだろう.

 

 

 

以上どれをとっても,それを母や祖母が目撃するということでどのような化学反応が起こるか,想像しただけで身の毛がよだつ.そういった畏怖から,私は朝から入念に.しかし手早く作業をこなしていった.我ながらその綿密さと迅速さには目を見張るものがあった.人間は経験から学習する生き物だ.その命題を私は文字通り体現していた.

 

 

 

 

時刻は午後2時.連中の襲撃予告時刻まであと1時間ほどある.一連の作業を終え,心地よい疲労感に包まれた私はベッドに倒れ込んだ.これでもうあのような惨劇は繰り返されまい.安堵も合間って,間も無く私は浅い眠りについた.

 

 

 

 

 ...どれくらい時間が経っただろうか.外からはまだ雨音が聞こえてくる.時刻を確認する為にスマートフォンを手に取ろうと手探りをするが.手応えはない.

 

 

目を擦りながら上半身を起こすと,そこには母と祖母の姿があった.幻ではなかった.私が寝ている間に侵入していたのだ.二つの顔には,不敵な笑みが浮かべられている.母の手には私のスマートフォン.目を覚ました私に向かって,彼女はゆっくりとスクリーンを私に向けた.

 

 

 

LINE  遥香:明日やっぱり2じでもいい?

 

 

 

 

目眩が私を襲う.いやそれ違います,研究会の先輩から資料を受け取るだけなんです-そう弁解する一瞬すら与えられないことを,私は知っていた.強くなる雨音.また2時間コースか,と,弱々しく笑ったのであった.