23時49分

おたくのリハビリ

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月曜日に受ける授業の無い私は,例に漏れず今日もずっと引きこもっていた.久々に私に流れる文人としての血がたぎり始めたので,好きな詩人の作品を引っ張り出していくつか読んでみるなどした.久方ぶりにフランス語で文章でも書いてみようかしら...などと思って試みたりもしたが,最近仏語を全然使ってないからか,かなり難航した.読むのは特に難なくできるが,書いてみるとどうもしっくりくる文は書けなかった.言語はデイリーユースが大事ということを痛感した.よって,次回の記事は仏語で書くことにしたい.やる気があれば.

 

漠然と思ったことだが,文学を体系的に学ぶことの,他の学問の専攻と比較した際のデメリットとしては,いわゆる一次資料との付き合いが相対的に多くのウェイトを占めており,且つ文学作品を読む時は基本的には最初から最後まで読まないといけないから,必然的に一冊に多くの時間と体力を費やさなくてはならないという点が挙げられるだろう.これは教授の真似をして私もやるようになったスタイルだが,数学でも政治学でも,専門書や論文(二次資料)を読む時は,効率化の為に,まず序章と最終章を読んで,あとは目次を参照しつつ必要に応じて読む部分を決めて取り掛かる.しかし文学となるとそうはいかない.幻想文学作品の最初と最後を読んだところで,己に無秩序な幻想をする余地が残されるだけである.この点ではやっぱり他のディシプリンと比較して文学は敷居が高いなと思った.頑張れ世の文学者を志す者達.

 

「日記を書こう」「日記書けねえ」 という内容の2記事しか書かずに1週間以上放置されていた当ブログだが,原因はいくつかある.

 

まず,私の人生が毎日日記に費やさなくてはならないリソースを確保できる余裕が無いほどには忙しいというのが一点である.これには私も驚いた.しかし,普段から勉強,ツイッター,偶に外食と買い物などしかしていない程度の単調な日々ではあるが,それはそれで私なりに真剣に生きているという証である.少なくとも私はそう解釈する.都合のいい女だから.

 

第二に,それに関連して,私はこの日記にも同じく真剣に取り組んでいるという点である.どれだけ毎日が忙しかろうと,寝る前の5分でその日の記事を更新することはできる.そのへんのアイドルみたいに自撮りなどを添付しようものなら音速で片付けることだってできる.しかし私はそんなことはしなかった.それは当執筆に対して極めて真摯的であるからに他ならない.これは褒められてもいい.お母さんにほめてもらいます.

 

以上,長々と言い訳を書いてみたが,要は別に早々に飽きたから辞めたとかそういうわけではない.本日より,軽めの文章で,毎日更新できるよう頑張るつもりである.同じことを初回で言ってた気もするけど気にしない.