23時49分

おたくのリハビリ

ぷれふぃす

日記をつけることにした.ジェームズ・アレンの原因結果の法則じゃないけど,私が一夜にしてブログの開設にまで至った背景にはそれ相応の理由がある.まずはその説明からしていこうと思う.

 

私は概念について考えるのが好きだ.それは主に数学などの学問であり,アニメなどのコンテンツであり,英語などの自然言語であり,Lispなどのプログラミング言語である.翻って,こういった概念について話をするのは楽しい.それは私のツイッターのように一方的な発信でも,誰かとじっくり議論するのでもいい.それぞれ楽しい.ただし,私がツイッターで独り数学の話をしている時,誰かとその話題を共有したい,食いついてほしいという意図が見え隠れしている鬱陶しさについてはこの場で謝罪しておきたい.

 

しかし,ここからが本題なのだが,私は人間について話すのが苦手である.ずっと苦手だった.ここで言う人間というのは自然科学的な種としての人間(ヒト)や,哲学的人間学みたいな文脈でいう人間とかではない.それらは往々にして「概念」である.むしろ好き.私が苦手なそれは,人間個人とでも言うべきだろう.とりあえず以下では便宜上,人間個人という定義で人間という言葉を用いる.

 

人は皆,人間の話が好きだ.昔から仲良しのあいつ,最近デートしたあの子,なんか気に喰わないあの野郎...みたいな人間の話を四六時中している.なぜだかは知らないけど,多分あまり脳を動かす必要がないし,会話の基盤として同類の間で高度に共有されているからとかだろう.私はこういった類の話が苦手だ.何より面白くないからである.引くほど面白くない.だからずっと人間のことに思考のリソースを費やすことを避けて,専ら先述した概念について考えてきたのが私のこれまでの人生であった.気持ちの悪いおたくと化すのも時間の問題だったのだ.

 

だけど最近になってようやく気づいてきた.というのは,人間について考えるのを忌避するあまり,己自身のことも半ば無意識的に考えなくなっていたのだ.言い換えれば,私の人生には驚くほど主体性がない.いや,アクターは私自身に他ならないのだから主体性はあるはずなのだが,そのことに対して悲しいほど無自覚なのだ.おそらくだがこれは結構致命的なことである.下手したら私個人よりも@mikasa_on_railsの方が自己としての私になりかねない.岩倉玲音も真っ青である.こんなことではいけない,私は私を取り戻さなくてはいけないー

 

そういう,ある種の危機感みたいなのを漠然と感じた末に至ったのが日記をつけてみるということだ.日記をつけることで私自身について考える時間を作れると,そう考えたのである.安直すぎる気がするけどしょうがない.失われた自我を取り戻すべく,少しずつリハビリをしていきたい.

 

日記を書くにあたって私が留意することはただ一つで,それは普段のツイッターみたいに数学などの概念の話をしないということである.私自身という「人間」の話をして,きちんと己と向き合うことに慣れていくことが目的だ.これは私にとってなかなか過酷なリハビリとなるであろう.概念の話をしたい気持ちをグッとこらえて,柔らかい文章を書けていけたらなと思う.誰に読まれるでもなく.