23時49分

おたくのリハビリ

学校の小論文(題:インターネット・ガバナンスの推移と現状の分析)

ファイルのうpが面倒だったのでここで公開します.取り立てて面白い訳でもなく,無理に感想を求めたりもしませんので安心してください.

 

 

 

 

タイトル:インターネット・ガバナンスの推移と現状の分析

 

 

名前: A$AP MIKA$A

 

 

インターネット・ガバナンスとは,世界中を結びつけるインターネットにおける管理・統治・運営をめぐる問題である.serial experiments lainがその未来を「ワイヤード」という概念を用いて予測したように,インターネットは今や言うまでもなく世界にとって不可欠な公共財である.しかし,全てに責任や権限を持つ管理者や運営者は存在しない.技術面においては,一面的に管理が必要な部分もあるが,全体としてみれば,政府,国際機関,民間企業,研究者・開発者,市民団体と言った多様な利害関係者が意見を出し合って決定がなされる.このように多様な利害関係者(ステークホルダー)がガバナンスに参加する進め方をマルチステークホルダー方式と呼ぶ.科学技術のグローバルガバナンスは,科学技術を使用する側とつくる側がともに関与せざるを得ないので,利害関係者が非常に多岐にわたる.インターネットの急速な発展とともに対応が求められる問題が増え,複雑化し,ステークホルダーの意見も多様化してきた.それゆえ,インターネット・ガバナンスはブラックボックスのように感じられるかもしれない.そこでまず,以下で主なイシュー別にその実態を概観してみる.

 

インターネット・ガバナンスの課題として初めに浮上したのは,インターネットを機能させるための技術的な諸問題であった.とはいえ,その専門家たちだけに委ねられたわけではなく,すぐに多様なアクターが多様な立場で関与し,国際的に問題化することとなった.インターネットとは個々の端末を結びつけるネットワークであるが,その巨大なネットワークにおいて情報の受け渡しが正確になされるよう,個々の端末に「住所」が割り当てられる.これをドメインネーム・システム(DNS)と呼び,数字を組み合わせたIPアドレスと英数字で記載されたドメインネームから成る.両者は一対一で対応させ,他の端末と重複がないように登録し,管理していく必要がある.それを誰が担当すべきか,これが一つ目の問題となる.

 

また,インターネットの急速な発展によって,IPアドレスが足りなくなるという懸念が出てきた.従来のIPv4という方式では約40億個までアドレスの割り当てをすることが可能だが,利用者の数が飛躍的に増えるなか,枯渇するのは時間の問題と考えられるようになった.特に,遅れてインターネット利用が始まった開発途上国から公正な配分を求める声が上がり始めた.その配分は誰がどのように行うべきかというのが二つ目の課題である.

 

インターネットが世に生み出されたばかりの頃は,このような問題が生じることはなかった.当初はコンピュータの台数そのものが限られていたし,アドレスを開発者たちが一元管理すればそれで済んでいた.しかし規模が大きくなると,分散した管理体制が考案され,結果としてDNSが生まれたのである.その仕組みは,トップレベル・ドメインとして企業(com),教育機関(edu),政府機関(gov),国際機関(int)などのカテゴリを設け,その下位に企業名や大学名などをつけ,最下位に個々の端末があるといった具合に,階層的に作成されている.そして,アドレスの割り当ては個々のネットワークの管理者に委ねられた.

 

このように分散された運営の体制は,インターネットの世界各地での発展に寄与した.ただし全体にかかわる問題もあり,それは上述したアドレスの登録と配分の問題である.それについてはICANN(アイキャン)を中心に,数多くのアクターがガバナンスの主導権を競う構図ができている.ICANNは1998年に設立された民間国際組織で,IPアドレスドメインネームを世界全体に割り当てるためのルールづくりや調整を主要義務としている.アメリカの開発者たちが行なっていた業務が,グローバルな組織であるICANNに移管されたかたちと言える.これについては,多様な利害関係者が参画し,誰もが参加できることが理念とされたものの,現実には意見対立が交錯している.

 

対立軸の1つは,先端技術の性質に起因する.インターネット技術はますます高度化・複雑化しており,イノベーションの大半は企業が牽引している.テクノロジーやビジネスの専門家に主導権を委ねてインターネットの「安定」を重視すべきか,それとも「ネティズン」の声も取り入れてインターネットにおける「公正」を優先すべきか,立場が二つに分かれている.

 

2つ目は,国際関係に起因する.IPアドレスの希少性が認識され始めると,途上国が配分の見直しを求めるようになり,先発国対後発国の構図が生まれた.また,アメリカのヘゲモニーを問題視する国々も少なくない.ICANNカリフォルニア州に本拠を置いていて,アメリカ政府の息がかかっていると批判されてきた.

 

最後は,国家の役割に起因するものだ.ロシアや中国をはじめとする一部の国家は,サイバー空間における国家主権を重視する立場をとり,ICANNのような民間の組織ではなく,政府間の国際機関に権限を持たせてリードしようとする.中国のGreat Firewallなどに象徴的で,しばしばデジタル権威主義という言葉で表現される.それに対し,政府の介入はインターネットの発展を阻害するという意見が産業界や市民社会には根強い.

 

ICANNはこのような対立を抱えながら,インターネット・ガバナンスにおいて大きな役割を担い続けている.例えば,アドレス不足解消のため,天文学的な数の割り当てを可能にするIPv6という新しい規格の普及に努めている.2016年にはアメリカの商務省と関わりをたち,アメリカの息がかかっていないことをアピールしようとした.しかし,以下で議論するような,他の深刻化する課題には別途策を講じる必要があるとされてきた.

 

デジタル・デバイドの問題は,インターネット・ガバナンスの抱える最も大きな課題の一つと言える.インターネットの利用は,1990年代に一般利用が本格化してから瞬く間に世界に広がった.しかし,世界各国一律に普及したというわけではなく,その格差が明らかになり,さらに広がっていることが問題視されるようになった.この格差の問題をデジタル・デバイドと呼ぶ.

 

2000年代に入るころには,デジタル・デバイドは“情報化時代におけるもう一つの南北問題”と強く認識されるようになった.インターネットの利用,特に高速・大容量のブローバンドの利用は専ら先進国に限られ,後発・開発途上国ではごくわずかな利用のまま推移していた.国家間だけでなく,国内でも居住地域や所得,学歴,年齢,ジェンダー,人種などによって格差は顕在化していた.

 

デジタル・デバイドは,インターネットを利用できるかという単なる利便性の問題にとどまらない.個人にとっては教育や就職の機会が広がるし,国や企業にとっては生産性の向上や雇用の創出,経済の発展が促進されうる.それゆえ,この問題は開発や教育などのアジェンダと絡めて議論されるようになる.2000年7月に九州・沖縄サミットで発表された「グローバルな情報社会に関する沖縄憲章」では,デジタル・デバイドへのグローバルな取り組みの呼びかけが行われた.同年9月には,国連ミレニアム・サミットに置いて「ミレニアム開発目標MDGs)」が採択され,2015年までに達成すべき目標の一つとして「民間セクターと協力し,新しい技術,特に情報通信技術の恩恵を行き渡らせる」ことが宣言された.また,こうした動きがあった中,国連はそれぞれ2003年と2005年に「世界情報社会サミット(WSIS)」を開催した.この開催は,インターネット・ガバナンスが技術的な問題としてだけではなく国際社会においても重要な課題であると認知されたことを意味する.

 

国連サミットでは,例えば環境問題でも開発の問題でも,政府以外の視点を入れたマルチステークホルダー型の議論が重視される.WSISにも首脳・大臣レベルの政府代表以外に,国際機関や産業界,市民社会,研究開発者コミュニティからの代表も参加した.第一回はジュネーヴで開かれ,望ましい情報社会のあり方に関する「基本宣言」とその実現に向けた「行動計画」を採択した.第二回はチュニジアで開かれ,行動計画の具体化について議論された.

 

デジタル・デバイドの問題の是正には多くの歳月をかけた取り組みが必要である.そのため,継続的に審議するため2006年に「インターネット・ガバナンス・フォーラム(IGF)」が設置されている.各ステークホルダーの代表から成る「マルチステークホルダー・アドヴァイザリー・グループ(MAG)」が作られ,IGFの運営の中心を担っており,毎年一回総会が開かれている.

 

こうした国際社会の取り組みは制度化され,かつ継続的に行われてきたが,その成果については国連総会が2015年11月,WSISから10年後の現状を検討した.報告書は「いまだにかなりのデジタル・デバイドがある」とし,特に後発・開発途上国,社会的弱者などへの配慮が必要であるとした.そのすぐ前である9月に開かれた国連総会では,2030年までの「持続可能な開発目標(SDGs)」が採択され,人材育成をはじめとする情報通信技術のキャパシティ・ビルディング支援を強化することが盛り込まれた.デジタル・デバイドは,ジェンダー格差や教育格差,経済格差などの問題に広く繋がるものであるため,その是正はSDGsにとって不可欠と考えられている.しかし,ITUの最新の統計予想は,2018年終了時点で世界人口の約半数(48.8%)がインターネットを利用できずにいるだろうとしている.またアフリカ地域では,今もなお「オフライン」の人が多数を占めるとしており,まだまだ問題の解決に至っていないことは自明である.

 

サイバー空間の安全,いわゆるサイバー・セキュリティの問題も,インターネットの発展とともに浮上した課題である.インターネットが社会や生活に浸透すればするほど,それが正常に機能しなくなった時の被害は大きくなる.今やサイバー空間の安全は,仮想世界にとどまらず,現実世界の安全と不可分であるとすら言える.それゆえ,サイバー空間は陸,海,空,宇宙に続く「第五の戦場」と言われる.

 

しかし,サイバー空間では,そもそも何がその安全保障上の脅威であり,誰がどのように安全を守るべきなのかという点で.ガバナンスのにおける明確な国際的合意が存在しない.サイバー空間には様々な脅威が潜んでおり,時に顕在化する.それらはサイバー犯罪やサイバー攻撃サイバーテロ,サイバー戦争などの呼称がある.攻撃する側はハッカーのような個人であるかもしれないし,犯罪組織や軍事機関であるかもしれない.攻撃を受ける側も,一般利用者,企業,通信・電力などのインフラ,政府機関など,実に多岐にわたる.

 

何れにせよ特筆すべき点は,攻撃や犯罪の主体が誰であるのかが特定しにくく,また,その攻撃や犯罪は国境をいともたやすく超えて行われるということである.それがゆえに一国での対応には限界があり,多国間,あるいは非国家主体をも巻き込んで協力体制を敷く必要がある.グローバルガバナンスが最も必要とされる問題領域の一つであるということだが,そこには根深い溝が存在する.

 

その一つは,サイバー空間において「何を守るか」をめぐる対立である.サイバー空間の安全に関するガバナンス体制を最初に構築したのは,欧米の先進国手動で2004年に発効した「サイバー犯罪に関する条約(サイバー犯罪条約)」である.2001年に公開されてからすぐに30カ国が調印した.条約では,どのような行為をサイバー犯罪とみなすかを定義し,その取り締まりのために締約国が連携する方法などを定めた.

 

しかし,調印しない国も多くあった.特に,ロシアと中国は欧米主導の条約に参加意思を示さず,別のフォーラムで独自案をまとめた.上海協力機構(SCO)で検討を重ね,2011年に発表した「情報セキュリティのための国際行動規範」である.それにはサイバー犯罪条約と決定的に異なる点があった.すなわち,欧米諸国は情報の保護を重視し,サイバー空間で情報が盗まれたり改ざんされたりすることを犯罪とみなすこととした.一方,中露主導の行動規範は,体制を脅かすような情報の取り締まりを重視していた.条文を見ると,「テロリズム,分離主義,過激主義を扇動する,あるいは他国の政治,経済,社会の安定や精神的,文化的環境を弱体化させる情報の配布をそしするために協力すること」とある.さらに,行動規範は,国家主権の尊重を強調する内容だった.言論の自由を標榜する欧米諸国にとって,受け入れがたいものであることは自明である.

 

つまり,情報そのものを守るか,あるいは情報から体制を守るかという対立だが,後者が少数派であるとは必ずしも言い切れない.インターネットの利用はすでに後発国にも広がり,中には治安や体制の維持を最重要視する国も少なくない.イスラム諸国も,イスラム教の戒律に反する情報の取り締まりに意欲的である.一方で,サイバー犯罪条約の締約国は2018年現在で61カ国となっている.

 

中露は行動規範を作成したのち,議論を国連に持ち込んでおり,ゆくゆくは国連総会決議として採択されることを目指している.すでに政府専門家会合(GGE)は複数ラウンド開催されているが,上述したような対立軸は依然残されたままである.

 

二つ目は,国家と市民社会の間での対立で,サイバー空間における「安全と自由」をめぐる対立である.安全を名目に国家が統制を強めるとき,市民社会は自由とプライバシーの侵害を心配するだろう.同じことがサイバー空間においても言える.

 

先進国の多くでは,とりわけ9.11のテロ以降,情報機関がサイバー空間における監視活動を強化した.犯罪やテロを未然に防ぐために,情報機関がデジタル技術を駆使し,文字通り「全てを傍受する」ような時代が到来した.それは一方で,一般市民の個人情報や通信記録が,国家によって,気づかれないうちに大掛かりに収集されていることへの危惧を生む.2013年のスノーデン事件は,それがすでに現実であることを世に知らしめた.そうした市民社会の危惧をよそに,政府間だけでサイバー・セキュリティにおけるガバナンスの仕組みが作られようとしている動きに対し,サイバー空間の自由を尊重する立場から反発する声が大きくなっている.世界のジャーナリストによって構成されるNGO国境なき記者団」は,インターネットの検閲や監視を恒常的に行う「インターネットの敵」として世界中の国や機関を列挙するという活動を行なっているが,その中には中露を始め,アジアや中東,アフリカの独裁政権などと並び,NSAを抱えるアメリカと,同じくSISなどに有名であり監視活動が活発なイギリスも含まれている.安全と自由の対立軸は,今後もインターネット・ガバナンスにおけるジレンマとして存在し続けるだろう.

 

インターネットはますます便利になって,世界中で利用者数も用途の幅も拡大し続けている.その意味では,インターネット・ガバナンスは表面上うまくいっているように見えるし,そう言えるかもしれない.これほどまでに潤滑に世界をつなぎ合わせることが可能になるとは,開発者すら当初は予想できなかったであろう.しかしこれまでの議論にみたように,インターネット・ガバナンスの道のりは決して平坦なものではないし,今後も難航することが予想される.むすびに,その根底にある要因を整理することを試みる.

 

第一に,インターネット・ガバナンスは言うまでもなくグローバルな課題である.サイバー空間における国境は,完全に消滅したわけではないが,かつて世界が経験したことがないほどまでに希薄になっている.インターネットの問題は,ネットワークで結びついた世界全体の問題ということができる.全ての国々で合意形成していく必要があるが,それぞれの立場は決して一様ではない.

 

第二に,インターネット・ガバナンスには,様々なアクターが深く関わっている.一握りの開発者が管理・運営していた時代はもはや過去となり,世界数十億のユーザー,インターネットをビジネスに不可欠とする企業,法整備や犯罪捜査を担う政府機関など,多種多様なアクターが多種多様なフォーラムで討議している.当初からマルチステークホルダー型のガバナンスが施行され,それがうまくいった部分もあれば,相違が埋められずに残る部分もある.

 

第三に,国際政治の舞台におけるパワーシフトによって次々に課題が浮上する.一部の先進国から開発途上国へも利用が急速に広がったことによって,アドレス不足の懸念が生じ,格差(デジタル・デバイド)是正の要求が強まり,サイバー空間における安全と自由についても問い直されることとなった.一気にサイバー大国となり,デジタル権威主義を志向する先駆的な例でもある中国が,ロシアとともに欧米諸国とは異なる価値観をインターネット・ガバナンスに持ち込んだことの影響も大きい.

 

これらの点は,インターネットだけでなく,発展し続ける全ての科学技術に当てはまりうる.核関連技術,宇宙開発技術,バイオテクノロジー,ロボット技術,AIなど,人類の将来を左右しうる科学技術のガバナンスに,我々は今まで以上に注意深く目を向けていく必要がある.(7157字)

 

 

 

 

 

参考文献

 

須田祐子 2015 「サイバーセキュリティの国際政治—サイバー空間の安全をめぐる対立と強調」『国際政治』179号.

 

須田康司 2007 「サイバー犯罪条約の現状と課題」(原田泉・山内康英編著 2007 「ネット戦争—サイバー空間の国際秩序」NTT出版より).

 

会津泉 2007 「情報化時代のガバナンス-WSISにおけるインターネットガバナンスの動向,グローバルガバナンスの試金石」(原田泉・山内康英編著 2007 「ネット戦争—サイバー空間の国際秩序」NTT出版より)

 

会津泉 2004 「インターネットガバナンス-理念と現実」NTT出版

 

 

土屋大洋 2015 「サイバーセキュリティと国際政治」千倉書房.

 

 

 

7/26

今日で一旦,主要なテストやレポートが終わった.まだあと二つ試験があるけれど,どちらも好きな科目だし自頭で突破できそうなので正直なめている.もちろん事前に勉強はするけど.

 

試験期間ともなるとやっぱり学校は普段より多くの人であふれていて,同じ世代の者達がどのような様相をしているかが確認できる.というか端的にいうと,サブカル女子大生がすごいいっぱいいて,改めて驚いた.学部生の年頃の若者はみんなアイデンティティの形成に奔走していて,その結果サブカルという枠組みに安易に収斂していくのは想像に難くない.

 

しかし,サブカルと一口に言っても,やはりサブカルである以上体系を嫌うという一面があるので,その基づくところはかなり流動的である.サブカルとは,劣等感を抱える者達の作り出したアイデンティティの形と定義づけることが可能である.例えばその一つとして,西欧へのコンプレックスというのが一貫してサブカルたちが抱き続けている代表的なそれだ.そんな彼らの安寧の地は長らく京都であったわけだが,最近はもっぱら韓国である.今のサブカルたちは韓国のメイクが好きだし,韓国のアイドルを好きになるし,海外旅行も押し並べて行き先は韓国である.海外進出おめでとうございます.

 

まあ体系を忌避するという基盤しか存在しない以上,あらゆる対象は時々刻々と変遷してゆく.かつての相対性理論は今日の大森靖子だし,かつてのツモリチサトは今日のha|za|maなのだ.もちろん君たちが何を好きになろうと君たちの勝手だけど,とりあえずあまり視界に入らないで欲しいというささやかな願いを記して,一旦この話は終わりにする.

 

 

さて,サブカルが嫌うものは主に技術,論理,古典だよネというツイートをつい最近したと思うが,その中でも論理について,今日考えていたことを,己の思考を整理するためにもここにまとめてみようと思う.

 

我々が理性的存在者として最低限論理的であるためには,日常言語の使用においても常に意識しておくべき区別がある.

 

第一に,ある議論がメタレベルの議論なのか,オブジェクトレベルの議論なのか,という区別.

第二に,ある命題を述べるときに,その命題が仮定なのか,主張なのか,という区別.

第三に,処理に問題が発生した場合,それがシンタックスエラーによるものなのか,セマンティクスエラーによるものなのか,という区別.

 

他にも挙がるだろうが,個人的に平素意識するように心がけているのは上の三点だ.それぞれ具体的に考えてみる.

第一点は,議論によって得られる解集合のレイヤーについての混同を避けるための心がけだ.特殊解で十分対応できるものについて,無理な一般化を目指していないか.あるいは,必然的に一般解が求められている場面で,特殊解の列挙に終始していないか.手段を目的に対して最適化してゆくためにも,この区別ははっきりと意識していなくてはならない.

第二点は,自然言語に特有の罠と言える.人工言語において主張と仮定は構文的にはっきりと区別されるが,自然言語では曖昧になりがちだ.例えば,Pが真であることを仮定してP→Qを導いたとする.ここからQが真であると主張するのは誤りだ.この時点では”Pを真と仮定した場合にP→Qが成り立つ”という主張が真であるということまでしか分からない.換言すればこれは,(P→(P→Q))を示したに過ぎず,前提(P)の真偽が不明な以上,この文は真でも偽でもない.

第三点は,一階述語論理を宇宙とした場合にわかりやすい.シンタックスエラーとは,要するに論理記号の操作に関する誤謬だ.これは自然言語おいてふつう接続詞の誤用として表面化する.セマンティクスのエラーとは,一方,文の意味に関する誤謬のことを言う.ノーム・チョムスキーによる"Colorless green ideas sleep furiously"という有名な文がある.これはシンタックスは健全だが,セマンティクスの致命的な欠陥によって意味不明な文になっている.

この辺りに気をつけていると,およそ詭弁の類からは冷静に距離を置くことが出来るようになる.と同時に,相手さえ選べば,詭弁を駆使して煙に巻く技術も身につく.詐欺の本質は論理的修辞のトリックにある.

 

[雑記]アティチュードについて

やることがたくさんあるのに,今日はlainを何話か観た.あまりにも良かった.製作陣がつぎ込んだありったけの人智が作用していて,諸要素が神業的な塩梅で調和されていて,もうめちゃくちゃ面白くて,存在が奇跡みたいなアニメだ.私は気持ち悪いので感動すると割とすぐ泣くのだけれど,このアニメは観る度に必ず泣いてしまう.

 

サブカルチックな話題を出したのをいいことに,もう一つ,そっち方面に関して思うことを書いておく.高校生くらいの頃から散々思っていたことで,もうさすがに思わないかと思ってたけど今でも全然思うので書いておきます.断っておくが別に大したことではない.

 

 

以前,文学でも音楽でも「受け手との相性が〜」みたいなこと言うアホはクソ食らえという旨のことを書いた気がするが.今回はその話をもう少し広げてみたいと思う.即ち,音楽でも文章でもアニメでも絵画でも映画でも,それらをevaluateする際,そのプロセスに受け手側の何かしらを介入させてはいけないということだ.つまり,あるコンテンツの価値(未定義)を算出する方程式があったとして,そこには消費者の何かがいかなる形でも変数として組み込まれることがあってはいけない,ということである.

 

その変数としてしばしば用いられるのがまさに「相性」だ.極めて曖昧な定義づけを以って用いられるそのコンセプトは,人為の結晶をいともたやすく蹴落としてしまう.あるコンテンツを良いと思わない,それは相性が合わないからと言って片付けるその傲慢さを,なぜか,多くの人々が持ち合わせている.

 

そうじゃない.例えば,技術を以って緻密に作られた情報量の多いものは,理解するのには最低限の時間,体力,インテリジェンス(バックグラウンド),そしてそれらを費やすことを惜しまない姿勢が必要で,そのいずれか,あるいはその全てを君達が持ち合わせていないだけなのだ.コンテンツは,少なくともそのような人々が考えるよりは,もっと普遍的なヴァリューを有していて,また普遍的に判断されるべきだ.そしてそれは,個人的な相性などという全く無関係な要素の従属変数では決してない.一流の消費者など存在しない.一流の生産者がいるだけなのだ.

 

 

類似した文脈で,「人個人ではなく,人為に注目する姿勢」の必要性はもっと広く認識されても良いと思っている.文学者個人ではなく彼が著した文学作品に,ピアニスト個人ではなく彼の奏でる音色に,哲学者個人ではなく彼の理論に,我々は注目しなければならない.そして,その境界は明確に区別されるべきだ.しばしば,そこに垣根のない人は散見される.何かしらの人為と対峙する時,我々オーディエンスはおろか,厳密には生産者個人が介入する余地もないのだ.少なくとも,我々の認識からは排除しなければならない.

諸君,人為を愛せ.

 

6/18

もうそろそろ月曜日が終わる.各位お疲れ様です.このアホくさい日記を読んでくださっている人々の中にも,社会人の方が複数いらっしゃることを知っているので,尚更お疲れ様ですといった感じだ.私はアルバイトすらしていない生粋の学生風情なのでただただ恐縮だし,尊敬するばかりである.まああと数年で私も魂を売る予定だけど.

 

久方ぶりの更新となってしまったが,すなわち日記を書くことがかなり久しぶりなので,リハビリがてら,ここ数日の私の様子を脈略なく綴ってみることにする.

 

 

金曜日,授業が休講だった私は,昼前頃で予約を入れていた歯医者に行った.定期検診を受ける為だ.相変わらず問題なく,キレイですねとのことだった.ここまで押し並べて平均以下の人生を送ってきた私だが,歯医者に口内を褒められた回数ならそんじょそこらの奴には負けない自信がある.何と言っても歯並びがとても良い.

 

ここにちょっとした泣けるエピソードがある.私はこの整った歯並びをずっと天性のものだと思っていた.具体的にはちょうど2年前くらいまで,そう思っていた.というか矯正でもしない限り,歯並びというのは天性のものである.ところが大学一年生になりたての頃,成り行きは覚えていないけれど,祖父と二人で話す機会があった時,歯の矯正の事実を伝えられた.家系的に歯並びが悪かった我が血族のことを思って,私の母は,私が乳幼児の頃に莫大な資金を費やして,歯並びがまともに成長するよう矯正していたというのだ.私の記憶に無いのも当然である.そして母は,いまだに私にその事実を告げようとはしない.歯医者で歯並びを褒められたことを伝えても,それは良かったねとしか返さないのである.これは泣ける.いや泣きこそしなかったけど.

 

 

不覚にもちょっとしたお涙頂戴エピソードを披露してしまった.日記に戻ります.

 

 

歯医者の検診を数分で片付け,そのまま帰宅してからは至って普通の毎日であった.何をしたかと問われれば,勉強をした.繰り返すが,勉強した内容については,当日記の趣旨に著しく反するのでここでは記述しない.それはツイッターでやることだ.とにかく机に向かって,たまにトイレ,たまに食事,たまにシャワー,たまにツイッター,たまに仮眠,それ以外は勉強という極めていつも通りの時間を過ごした.

 

結局,日曜日の午後3時までぶっ通しで,このような非社会的な生活をしてしまった.

 

 

長年の経験から,そろそろ外に出て散歩でもしないとまずいなという気配を私は察知した.まずいというのは,具体的には脳の働きというか,効率性が著しく低下している状態を指す.そんなわけで私はシャワーを浴びて着替えた後,外に出た.

 

 

ちょうど二日ぶりに浴びる日光に感動するのもつかの間,それなりに家が近いという理由だけで東京ドームシティに来てしまった私は,そのあまりの人の多さに別ベクトルから精神を攻撃されることとなった.しかもその人というのも,私が苦手とする若い女子(おなご)がほとんどである.すれ違う女性一人一人に,君,流石にチーク塗りすぎDV被害者か,君,もうそのヴィヴィアンのリングつけるのダサいよ,君,バカみたいだから股を閉じて歩きなさいなどと心の中で指南するのもつかの間,精神的にすっかり疲弊し切った私はツイキャスで喋ろうと思っていた僅かなアクティヴィティも失い,逃げるようにしてその場を去ったのであった.

 

結局その日は後楽園を南下しそのまま日本橋ー銀座エリアまで歩き,酒でも飲んで帰ろうということになった.

 

皇居の横を通り過ぎた時は,いつものように老若男女がランニングしているのが見えた.私もあのように年老いた時に健康でいられるだろうか.老化怖いな...老化...老化後ティータイム...緑茶...などという,回想するのもバカバカしいくだらない連想をしながら歩いていった.

 

 

流れでいちごパフェが止まらないなどの名曲を聴きながら歩き続けた私は,ついに銀座に出た.松屋銀座をフラフラした後,近くにあるバーでお酒を飲んだ.知人が趣味で経営している会員制のバーで,見知った人しか来ない.私は常連という概念が死ぬほど嫌いで,アイドルに認知されようと躍起になっているオタクみたいで本当に嫌いなのだけど,ここに関しては別で,そういった類のくだらない自意識を持った客は現れない.気が向いた時に,良いお酒が飲みたい人だけが集まる.好きな空間だ.いつも季節の果物を使ったカクテルを作ってくれて,どれも美味しい.今回も作ってもらったが,いちごではなかった.終わり.

 

 

6/14

今日は米帝の大統領であるトランプさんの誕生日だったようだ.72歳になったというのをニュースで見た.とは言っても,国内外で嫌われている彼の誕生日を素直に祝っているメディアは,私が見た範囲では,やはりアメリカのハードコア保守系であるフォックスニュースくらいのものだった.もはや彼のステイトクラフトに関しては語るまでもないと思うので,ここでは立ち入らない.

 

飛躍的な情報技術革新によって,我々は世界中のニュースを即時に目撃できるようになった.遡れば,19世紀初頭の運輸・通信技術では,情報は馬より早くなることは不可能であった.パリからウィーンまで数日,ローマからサンクト・ペテルブルクまで数週間,ベルリンから東京までは数ヶ月かかった.ちなみに,この情報伝達速度の遅さはもちろん不便だったが,決して悪いことばかりではなかったようだ.例えば国家の政策決定者にとっては,考える時間,省察する時間がたっぷりあったということを意味していた.今はどうかといえば,情報量が急激に増えた一方,重大な決定を迅速に行う必要があり,結果的に特に外交政策決定者には重圧になっていると言うワケだ.

 

 

そういえばこれ私の日記でしたね.ちゃんと私のことを書きます.

 

 

今日の日付が書いてあるこの記事で昨日のことを語るのはコンセプト的にどうなのという感じだけど気にせず,今回は昨日のことを書く.昨日は語学のクラスが同じだった友人と,二人で飲酒を執り行った.予定を勘違いしていて,その日の夕食のアテをなくした私から誘った案件であった.

 

彼のアルバイトが終わる22時40分頃に着くよう,眠い目をこすりながら外苑前駅に向かった.飲み始めるには非常に遅い時間である.しかし,私は友達が少ない分,一度友達になるとこのように誠実に,そして比較的いつでも何処へでもホイホイ赴くという性質があるので,皆様各位もこれを機に私と友達になっておくことを強く推奨する.

 

薄気味悪いぼっちアピールはこの辺にして本筋に戻ろう.お互いなんとなく把握はしていたのだが,やはりどうも外苑前周辺はめぼしいお店が無かった.もっとも,時間が時間というのもあったのだけど.そういう訳で,結局原宿まで歩いて,その辺にあった居酒屋に入った.

 

 

彼とはお洋服の話をした.昨年後半くらいからはロクにコレクションを見ていなかったし,何より人とファッションの話をするのが久々過ぎたので,色々な固有名詞があまりにも懐かしかった.

 

ここ最近のランウェイ事情で私がキャッチアップできていることと言えば,フランサマーというイタリアヴォーグによく出ている新人のモデルがまじで可愛いということくらいだった.プラダのキャンペーンに出ていた彼女を見かけて一目惚れしたのをぼんやり覚えているのだが,その他のメゾンを含め,肝心のオムについても全然チェックしていなかった.お洋服を買う時期は基本的には毎回決まっているし,シーズン間近になったらまた見てみようかな,などと思った.

 

 

帰り際,駅のホームで立ち話をした.君からの連絡はもうないと思ってたよ,と彼は言った.相変わらずマーヴェリックな印象を持たれているのは確かなようだった.勘違いしているようだけど,私ほど友達というものに飢えている大学生はなかなかいないぞ,と言おうとしたが,不毛な会話になるのが目に見えていたのでやめた.お互いに別方面の山の手線に乗って,我々は帰路についた.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山の手線に普段乗らない為に終点の仕組みがよく分かっておらず,自宅に近くもない駅で終電から降ろされた私は,結局タクシーで帰宅する羽目になった.やっぱり,もう二度と彼に連絡することはないだろう.

 

 

 

6/12

今日の話題といえば,やはりシンガポールで行われた米朝首脳会談だろう.しかし始めに断っておくが,これについてはここでは一切書かないので安心してほしい.最初の記事で言及したが,当日記の趣旨はそういう学術的な話題から距離を置き,私の変哲のないデイリーライフを淡々と綴ることだからだ.

 

ただ,いち国際政治学徒として読者のそうでない皆様に一つお伝えすると,皆様各位が金正恩という男に対してどういう印象を持っているのかは分からない(むしろ教えてほしい)が,一つ言えることは,彼の外交は極めて冷徹で合理的であるということだ.気分屋だとか支離滅裂だとか,そういう印象を抱く人はそう少なくはないのだろうが,それはトランプの方である.金正恩は,交渉におけるレバレッジを多分に理解している.そのことを念頭に置いて,今後メディアの国際欄を注視していただきたいと思う.

 

 

皆様各位はあくまで私のライフスタイルに興味津々で読んでくださっているというのに金正恩の話をしてしまい,大変恐縮である.大急ぎで日記書きます.

 

 

 

 

今日はサブカルっぽいことについて,漠然と考えていた.具体的には音楽と文学についてである.昔から本当に友達がいなかった私は,少なくとも並よりかはそれに触れる時間が多かったと言える.

 

 

私には,このアカウントの開設をきっかけに再会することができた,2015年来の盟友がいる.実に約2年ぶりに再会したその人はいつの間にか文学部生になられていて,今は度々私に流れる文人の血を刺激してくれる.昨日も,僅かだが,文学周辺のやり取りをしたのを思い出していた.その流れとして半ば必然的に,以下のようなことを考えていた.

 

 

記憶が正しければ,出会った当時の私はちょうど高校2年を終えようかという時期だったわけだが,まさにその時期の私は文学(主として幻想文学)や音楽に傾倒していた.具体的に,それらについて私は何を思っていたのか.何を求めていたのか.私が読み,聴いていたそれらはなんだったのか.

 

 

 

 

ひと通り当時のことを想起してみて ー 具体的な名前こそ出さないが,ああ,そりゃ,当時の私みたいな,とにかく何かを好きになってみようと必死だった人間は,こういうのを読む(聴く)よね,抽象的で,なんとなく何かを言っているようで,その何かは受け手の勝手な解釈に委ねて,考察だのなんだのと,あれこれ遊ばせてくれる余地のある,言葉遊びの気取った作品が好きだよね,という妙にスカした感想をもった.

 

 

あの頃の私には今よりずっと,文学や音楽が必要だったのだ.好きとか嫌いとかじゃなくて,必要だった.それが良いとか悪いとかでもなく,ただ空っぽのそれらの受容体が精神の空隙として存在していた.それらと結合して作用するような,そういうものがあった.何が作用していたのかはうまく言葉にならない.なんというか切実で,必死で,とにかくその作用がなければ生きている心地がしないような,そういうものが,かつて私の中にあった.病気だ.麻疹とか熱病の類だと思う.

 

 

今では特に音楽なんかは,なくても平気で生きていられるようになって,気がついたらそうなっていて,別にそれ自体を残念だともつまらないとも思わず,むしろそう思っていないことを我ながらちょっと意外に思っている.

 

 

しかし,誤解なきよう言わせてもらえば,私は今でも両者が大好きだし,その当時から変わらない価値観というか軸みたいなのも一応ある(つもりだ).一つは,文章も音楽も技巧がモノを言うというか,プライオリティだと思っていて,当時の私も今の私も,上手ければもうそれだけでめちゃくちゃ感動してしまうというところがある.だからこそ私の良くないところとして,"結局受け手側との相性次第だよね〜"とか,"上手いけど心に響かない"みたいなことを言われると吐きそうになる.技術は大事だよ,少なくともその近視眼的で高慢な態度よりはと思ってしまう.

 

 

 

でも今は,そういうのをアレルギー的に嫌悪してしまうということもなくなった.というかむしろそれが正常である.当時の私は,インスピレーションとか感受性とか,そういう,自分なりに加工したエゴイズムを切り売りして生きていこうとしていたのだ.やっぱり病気だったんだな,高校2年生の頃.

6/10

今日は雨模様の1日である.日曜だというのに生憎の天気である.普段の私なら,サークルのメンバーでBBQをする予定が潰れた大学生達を想像して英気を養うなどするところだが,今日はそんな暇はなかった.午後から母と祖母が都内に出てくることになっていたからだ.

 

連中は部屋の片付けと物資の運び込みという名目で度々私の拠点を襲撃しに来るのだが,そもそも掃除が好きな私の部屋は常に塵ひとつないし,普段から親のクレカで好き放題に買い物をしている私にはそういった生活面での物的支援は不要だ.それにもかかわらず来るということはよほど子供(孫)の生態が気になるということである.更に言えば,彼女らの私に関する興味関心は学業の優などではなく,専ら私の恋愛事情にある.下種の勘繰りという言葉があるが,まさに彼女らの挙動を形容するに相応しい表現だろう.

 

 

さて,私は普段住んでいる賃貸の他に,ベースキャンプとして都内にもう一つアパートの部屋を借りているのだが,今回の彼女らの襲撃ポイントは後者であった.事前に爆撃予告を受けていた私は,本日朝8時に入構した.あらゆる疑惑の種を前もって抹消しておくためである.

 

 

ここで明記しておかねばならないのは,この作業の必要性は私に実際に恋人がいるかどうかということとは全く関係がないということだ.問題はまさに連中の「下種の勘繰り」にある.

 

 

例えば,授業中に偶然ボールペンのインクが切れて,仕方なく知人からガーリーなデザインのペンを借りたとする.そしてそれを返却せずに持ち帰ってしまい,机の上に置きっ放しになっているとしよう.彼女らが机の上にあるそれを目撃した場合,もうその場で私には少女趣味の同年代か年下の恋人がいて,かつその部屋で一緒に勉強か何かしたという事実が出来上がり,質問という名の銃弾を連射する機関銃の餌食となる.それより向こう2時間は解放されることはないだろう.こう言った苦い体験を二度としない為に潜在的な疑惑の種を徹底的に排除しておくことは自己防衛の為には欠かせないことなのだ.

 

 

ここで,具体的に私が今日行った予防的作業をいくつか紹介しておこう.

 

まず,歯ブラシを1本捨てた.先日歯医者で検診を受けた時に,担当医になんかハイテクな歯ブラシを紹介されてホイホイ購入してしまったのだが,それが洗面台に立てかけてあった.つまり,普通の歯ブラシとその歯ブラシで合計2本の歯ブラシが存在していたのだ.そのインプリケーションは明らかである.

 

 

次に,長い髪の毛が落ちていないかを床に這いつくばって入念に確かめた.というのも,私はつい先日散髪したのだが,それまでは例外的にかなり髪の毛が伸びていて,特に前髪などの長さはボブヘアの女性の髪のそれとちょうど同じくらいあった.それはもう,抜け毛だけ見たら吉瀬美智子のようなヘアスタイルの女性を想起させるような.

 

 

また,知人に作ってもらった料理が冷蔵庫に入っていたので,それを全て平らげた.まともに料理が出来ない私の冷蔵庫にそれなりの難易度であろう料理が入っていたら,否応無しにそれの類を想起させるだろう.

 

 

 

以上どれをとっても,それを母や祖母が目撃するということでどのような化学反応が起こるか,想像しただけで身の毛がよだつ.そういった畏怖から,私は朝から入念に.しかし手早く作業をこなしていった.我ながらその綿密さと迅速さには目を見張るものがあった.人間は経験から学習する生き物だ.その命題を私は文字通り体現していた.

 

 

 

 

時刻は午後2時.連中の襲撃予告時刻まであと1時間ほどある.一連の作業を終え,心地よい疲労感に包まれた私はベッドに倒れ込んだ.これでもうあのような惨劇は繰り返されまい.安堵も合間って,間も無く私は浅い眠りについた.

 

 

 

 

 ...どれくらい時間が経っただろうか.外からはまだ雨音が聞こえてくる.時刻を確認する為にスマートフォンを手に取ろうと手探りをするが.手応えはない.

 

 

目を擦りながら上半身を起こすと,そこには母と祖母の姿があった.幻ではなかった.私が寝ている間に侵入していたのだ.二つの顔には,不敵な笑みが浮かべられている.母の手には私のスマートフォン.目を覚ました私に向かって,彼女はゆっくりとスクリーンを私に向けた.

 

 

 

LINE  遥香:明日やっぱり2じでもいい?

 

 

 

 

目眩が私を襲う.いやそれ違います,研究会の先輩から資料を受け取るだけなんです-そう弁解する一瞬すら与えられないことを,私は知っていた.強くなる雨音.また2時間コースか,と,弱々しく笑ったのであった.